ほのぼの わくわく やすらぎのまち やわた

『和名抄』でいう山城国綴喜郡内郷に鎮座する本社は、平安期に定められた『延喜式神名帳』に、「内神社二坐」と記される式内社である。古伝によると、山代内臣をその住居の地に奉祀したのが創建で、相殿に鎮まり坐す味師内宿禰は、山代内臣の祖神であることから、後に合祀されたと伝えられる。また、『神社明細帳』によると、室町時代に起こった大永の乱(十六世紀前半)により社殿が頽廃したため、天正年中に今の地に遷座されたと記されている。旧社地は現在もなお「古宮」と呼ばれ、本社より南東の方角約五百メートルの所に禁足地として現存する。現在の本殿及び境内は、平成十三年十月より十四年九月迄の二年間に亘る、内里区造営事業として行われ、整備完成されたものである。御祭神の山代内臣は、味師内宿禰の後裔であり、内里の郷の始祖とされ、地名の「内」は、御祭神の名によるものと伝えられる。味師内宿禰は可怜の美称である。父は孝元天皇(第八代)の皇子である比古布都押之命で、母は葛城之高千那毘売である。山代内臣の祖神であり、応神天皇(第十五代)に仕えた武内宿禰の異母兄弟にあたる。武勇に優れた兄武内宿禰に対し、美男で温和な性格の神であったと伝えられ、『日本書紀』に記されるように、神代の裁判である「探湯」を初めて行った神として知られる。