周辺案内 神社・仏閣・観光

観光

  • こども動物園

    こどもどうぶつえん
    こども動物園

    ミニチュアホースやウサギ、クジャク、デグーマース、チンチラなどと触れ合える小さな動物園。

  • さくら近隣公園

    さくらきんりんこうえん
    さくら近隣公園

    ソメイヨシノなど約250本が池のまわりを中心に植栽されています。園内には、全長88メートルのうんてい「モンキーチャレンジ」も。

  • 男山展望台

    おとこやまてんぼうだい
    男山展望台

    石清水八幡宮参道ケーブル・八幡宮山上駅近くにある展望台は、桂川、宇治川、木津川の3つの河川の向こう側に京都市内が広がり、西は天王山、東は比叡山や宇治の山なみを見渡せる絶景名所です。桜や紅葉シーズンは一層風情があります。

    • 観光
  • 松花堂庭園・美術館

    しょうかどうていえん・びじゅつかん
    松花堂庭園・美術館

    江戸時代初期に華やかな寛永文化の中心となって活躍した社僧・文化人の松花堂昭乗ゆかりの庭園。露地庭や枯山水など趣ある庭を楽しめます。また、昭乗ゆかりの資料を展示する美術館もあります。

  • エジソン記念碑

    エジソン記念碑

    トーマス・エジソンが白熱電球の実用化に向けて世界中の竹を集めて実験したところ、八幡産の真竹を使って1000時間点灯に成功し実用化に至りました。石碑は戦前の1934年から守り継がれ(1984年建て替え)、エジソンの偉業を称えています。

  • 安居橋

    あんごばし
    安居橋

    男山の麓を流れる放生川に架かる橋で、八幡八景の一つ。大きく半円を描いた形は別名「たいこ橋」と呼ばれています。また、放生川両岸は散策路になっており、左岸の八幡宮境内とともに憩いの場です。

  • 流れ橋(上津屋橋)

    ながればし(こうづやばし)
    流れ橋(上津屋橋)

    木津川に架かる全長356.5mの日本最長級の木橋。増水時の抵抗を減らすため、床板が流れるように設計しています。白砂の河原と清流に調和した風景は、映画ロケに度々利用されます。

  • 背割堤

    せわりてい
    背割堤

    宇治川と木津川を隔てる堤防。春には約1.4km続く見事な桜のトンネルが名所に。また、自然豊かな河川敷では、ゆったり散策しながら四季折々の自然が楽しめます。

  • 航海記念塔

    こうかいきねんとう
    航海記念塔

    高さ約6mの巨大な五輪塔。中世では日本最大で国の重要文化財。尼崎の豪商が石清水八幡宮に祈り海での遭難を免れ寄進した説や、僧・叡尊が建立した説などあります。

  • 伊佐家住宅

    いさけじゅうたく
    伊佐家住宅

    江戸時代に幕府領の庄屋を務めた伊佐家の住居。入母屋造りに大きな茅葺屋根、今は入手できない壁土「桃山」で作られた赤い壁が特徴です。事前申込みで見学可能。国の重要文化財。

  • 頼風塚・女郎花塚

    よりかぜづか・おみなえしづか
    頼風塚・女郎花塚

    八幡市民図書館に近い和菓子店の裏にある小さな五輪石塔「頼風塚(男塚)」。この石塔に対して松花堂庭園の西隅には「女郎花塚(女塚)」と呼ばれる小さな五輪石塔があります。

  • 神幸橋

    しんこうばし
    神幸橋

    男山山麓のニノ鳥居から約100m。山側の岩壁が深く削れた「祓谷(はらいだに)」と呼ばれる谷筋に架かる石橋。

  • 寝物語国分橋

    ねものがたりくにわけきょう
    寝物語国分橋

    その昔、郡や村の境を決める際、両方の村から同時に出発し出会った場所を境界としました。しかし、「出発までにはまだまだ時間がある」とそのまま寝込んでしまい、出発の時刻を過ぎたために領域が減ったとの逸話にちなんで建てられた碑です。

  • 下馬碑

    げばひ
    下馬碑

    相槌稲荷社の南、石清水八幡宮への石段の左、登り口にある石碑。「下馬」の2文字の筆跡は、瀧本坊の住職だった松花堂昭乗のものと言われています。

    • 観光
  • 東高野街道

    ひがしこうやかいどう

    八幡市内約4.5kmにおよぶ東高野街道は、京都と高野山を結ぶ「高野参拝道」のひとつです。八幡市内を縦断して円福寺から洞ヶ峠を越えて大阪府に入る道で、高野山から大峰山参りにもよく利用されていました。

    • 観光
  • 淀屋辰五郎旧邸跡

    よどやたつごろうきゅうていあと

    天下の豪商・5代目辰五郎は、正徳5年(1715年)恩赦によって八幡の山林300石が返還され、翌年に八幡に帰り、妻の吾妻、娘の五百と居を構えました。しかし辰五郎は翌年に他界、妻も3年後の享保5年に亡くなります。娘五百は9〜10歳。後に夫に殺され、浄瑠璃浪華丸金鶏の「八幡女敵対」として仕立てられます。

    • 観光
  • 淀屋辰五郎の墓

    よどやたつごろうのはか

    辰五郎の戒名「潜龍軒咄哉个庵居士」には隠された意味があるといわれています。正面中央が二代目玄个庵、左が三代目箇齋、右が二代目の弟で箇齋の父、五郎右衛門の墓碑です。

    • 観光